第79話   酒田の布袋竿 T   平成16年02月09日  

苦竹の庄内竿が全盛の頃になっても、酒田では盛んに布袋竹の小物釣竿が作られていた事は案外知られていない。

一間から一間半の長さの竿は全体に細く殊に穂先の繊細さは庄内竿の及ぶところではなかった。殊に根付ので年を経て飴色に変化した竿は珍重された。それは初秋からの篠子鯛釣にはなくてはならない竿であった。繊細な穂先は、篠子鯛の微妙な当りをキャッチして釣り人に教えてくれる。小物竿と云っても用途別に調子が多少違い、人により篠子鯛用、ハゼ釣用等と使い分けて使ったものだ。

酒田の布袋竹の代表的な竿作りの名人は旧秋田町の白崎甲三郎であったと云われている。布袋竹では普通、手元が強く先調子の竿が多い中、この人の竿は胴に力がありウラが細く総調子のもので、多くの釣り人に小物釣り用として愛された。白崎家の屋号から「菱一のホテイ竹」として好まれた。この人はランプの芯で矯めたという独特の技の持ち主であった。どちらかというと本来布袋竹が持つ調子より、庄内竿に良く似た調子の竿を好みよく作った。其の為楽しんで釣れる竿になったのである。ただ、この人の竿は、根付の物はなくすべて切り取られていたと云う。(根上吾郎作 「庄内竿」より)

自分も中学時代には、なけなしの小遣いで買った幾本かの根付の布袋竹の竿を持っていた。昔から軟らかい竿が好きで、特に庄内竿に近い物を選んで買っていた。小物釣り用にと細く総調子の竿を好んで使っていたのだが、上京中、安竿が多かったためにそっくりガラクタ扱いされ家族の者に捨てられてしまっていた。今考えると非常に残念である。このような竿も煤棚において長年使い込んでいる内に、独特の飴色の光沢が出てきてそれが自慢の竿になる筈であったのだが・・・・。